良いリセットと悪いリセット
2016/09/28
先日のリセット吟味の話の続きです。
RPGとリセットは切っても切れない関係です。
リセット前提のゲームデザインも数多く存在しています。
初見殺しのボス戦なんかは、リセットを押させる前提のゲームデザインで、どれだけ少ない回数のリセットで済むのかというものがゲーム性になってしまっています。
もちろん、リセット自体は悪じゃありません。
ただ、リセット文化が当然のようになってしまい、ゲーム性もリセット前提になってしまっているのはどうなんでしょうね。
ボス戦の前にセーブポイントがある。
今のRPGだと常識ですが、このゲームデザインはリセットが前提じゃないと出てこない発想です。
一見すると、ボスで死んでもリトライしやすいので親切設計に思えます。
でも逆をいえば、リトライしやすいので初見殺しも盛り込みやすいんです。
ボス戦前のセーブポイントは、リセット回数を増やすことに繋がります。
何度も言いますが、リセット自体は悪じゃありません。
ボス戦前のセーブポイントも悪じゃないんです。
リセットにも、良いリセットと悪いリセットがあると思うんですね。
何の捻りもなく、リセットで吟味を繰り返させるのは悪いリセットっぽい。
初見殺しのボス戦にしたって、良いパターンと悪いパターンがある。
弱点属性を探るターンが完全に無駄なので、数ターンほど属性攻撃で耐性を調べた後にリセットして弱点中心に攻める。
別にRPGじゃ珍しくもない光景ですけど、これって弱点属性を探る時間が完全に無駄な気がしなくもありません。
弱点設定は良いんですよ。
でも以降のボス戦が全部同じパターンの弱点探しだったらどうでしょう。
ただ面倒なだけで面白くもなんともない気がします。
それならググってWiki見ながらでいいんじゃないでしょうか。
だってリセット前提の弱点探しそのものに面白さなんて何もないし。
じゃあ良いパターンの初見殺しって何?って話ですけど。
何でしょうね。
ボスの個性が強すぎた上でのリセットとか?
FF4~6あたりは本当にボスが個性的で、何度リセットしても楽しかった。
4体同時に倒さないといくらでも再生してくるボスとか、倒れ際にアルテマ撃ってくるボスとか、どうやって倒すのか試行錯誤するのが本当に楽しかった。
ただ無機質に弱点属性調べてリセットするような弱点探しクイズとは違う。
ボス1体1体が個性的だったなぁ…
初見で殺されても全然不満じゃなかった。
ぶっちゃけ、無印の帽子世界はボス戦に個性がありませんでした。
個性を感じる前にコンボ連発で3~5ターン撃破でしたからね。
閃き連携があるからサガっぽいイメージの強い帽子世界ですけど、新約は昔ながらのFFみたいな感じが出せればいいなぁと思います。
9/27の拍手お返事です。
■帽子世界だと死の価値観を持ってるラヴィがそこらへんのテーマに触れますね。ラヴィらしい結論を出します
■ガラケ―版ロマ2の追加要素の多さは異常
■来年どうするねん!
■一人暮らしだと扇風機は収納に場所取られるから扇風機が持てない…
■ほとんど毛のネタやないかい!
■メルの作った死体人形が眠る終わりの間に入れるのは新約のナタリー編だけ
■あそこらへん作ってた時はたぶん普通の精神状態じゃなかった…
■低いな!
■DSってファミコンより解像度低いのによく頑張ってたよね
■やつはどこにでも潜んでいる…きをつけるのだ!
■なんだその残響音
■一時期、小泉に似た総理大臣が漫画でいっぱい出てたイメージ
■ボールを相手のゴールに塩ォォォォォォォゥゥゥウウウツッ!!!!
■どっからデリカット出てきた?!
■4の笑い方はシッシッシ!2の笑い方はニヤニヤ
■しに
■あるんかい…バグとか纏められてたら便利なんだけどさすがにそういうのはないよね…(他力本願)
■うむ。世界中の子供たちを全員百合好きにさせて世界が滅亡
■いや~さすがに今月までよ~そんなずっと毎日更新できるわけないや~ん
■ないアル(←宇宙の真理)
■でも、ご褒美が多すぎたらそれはもうご褒美にはならず、ただの当たり前の要素になっちゃうから難しい
■FF6が全滅してもレベルそのままで再スタートだったけど、結局魔石ボーナスを損するからリセットしてたという
■無印はゲーム開始すぐのマップで物理耐性のザコとか出してたのがそもそもの間違いというか、下手すりゃ最初のマップが一番ムズイという謎仕様
■ドラクエで全滅した時、リセットする派としない派に分かれそうだなぁと思ったけど、そもそもドラクエで全滅した記憶がほとんど無かった
< 時間がない
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可能性の獣 >
何でも思い通りにできるのは、常に退屈と隣り合わせ。死にたくても死ねない世界なら記憶操作で常に新鮮味を用意できるようにするだろうし、死ねる世界なら、最後は老化を通して死に至る人間らしい死に方がしたいって人がそれなりの数いてもおかしくないと思ったり。
前者においても死?や老化を退屈しのぎに経験しようとすることがあってもおかしくないと思う。時間は無限にあるのだから、確率的には可能性が漸近的に0に近づいたりしなければいずれ必ず起こる。そういう気分になることも十分あり得そう。