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0種感染症 #10(最終回)

2010/09/20

 子を残せないNOF感染症を殺処分している2025年の日本。私はNOF感染者、須藤理恵の治療に難航していた。かつての同士西畑、大場らに協力を求め、私はNOF感染症になりながら持ちうる限りの力を振り絞った。
 NOF検診まで残り1週間を切ろうとしていた。

 深夜1時、ハンドルを握る私の手は汗で濡れていた。
 私は西新宿ジャンクションから431号線に乗り、理恵を助手席に伏せさせながら後方に迫るパトカーから逃げていた。このままでは、もって吉祥寺まで、ヘタしたら中野で待ち伏せしているパトカーに進路を止められるだろう。
 後方のパトカーが2台に増えた。中野のパトカーは一足遅かったようだ。まだか。このままじゃもたない。
 焦る私の前で携帯が鳴った。
「林、予定どおりに電車が来た。いまどこだ?」
「くそ、笹塚だ。こっちはもう、もちそうにない」
「いや、絶妙だ。次の信号を左折して車を捨てろ」
「西畑やばい、赤になるタイミングだ」
「この期に及んで信号を気にしてる場合か、つっこめ!」
「歩行者がいるのにできるか!」
「避けて曲がれ!できなきゃお前が死ぬぞ!」
「無茶いうな!道狭いんだぞここ!」
「アクセルをもっと踏め!まだ青じゃなけりゃいけるだろ!」
「ここで車を捨てるしかない」
「そこからじゃ遠い!お前の力じゃ運びきる前に捕まるぞ!」
「こんなスピードで曲がれるわけないだろ!」
「ハンドルを切りながらブレーキかけて後輪滑らせろ」
「そんな説明で分かるか!うわああああああ!!」
 西畑の無茶な要求に文句を言う暇もなく、交差点が私の目の前に迫っていた。幸いにも歩行者はいなかったが、車は反対車線を大きくはみ出し、けたたましいクラクションが鳴り響いた。車は何とか姿勢を保ちながら曲がり切った。
「すぐ横のバス優先の道に車を捨てろ!そのまま歩道を走って鉄橋の脇にある階段から柵を超えるんだ!」
「理恵!走ろう!」
 私は助手席でうずくまっていた理恵を引きずり出し、抱えて走り出した。後方にいたパトカーもすぐ停車し、私たちに何かを叫びながら追いかけてきた。
 直後、遠くから電車の音が聞こえてきた。
 私は理恵を抱えながら鉄橋脇の階段を駆け上がり、柵を乗り越えた。そのままゆっくりと振り返る。
 私たちを追っていた警官二人の顔が硬直した。
「ばかな真似はやめろ!」
 その警官の言葉は、電車の警笛ですぐにかき消された。
 私たちは電車の前にゆっくりと体を投げ出した。

「波多野先生、お久しぶりです」
「西畑か」
 俺は林の墓の前でかつての恩師、波多野先生と会った。
先生の手には日本酒が握られていた。
「若い奴らは無茶なことばかりしよるわ」
 そういって先生は林の墓石に酒をかけはじめた。
「先生、墓に酒をかけるのはマナー違反です」
「おれに口ごたえするのもお前だけだったな、西畑」
「医者は詐欺師なんかじゃありません」
「またその話か。そういえばお前の答えはユニークだったな」
 先生は墓石に酒をかけるのを止めようとしなかった。
「先生」
「なんだ?」
「酒をかけないでください。それに林は下戸なんですよ」
「なら問題ないな」
「先生!」
「林はここに入ってないんだろ」
 この時、俺はどんな表情をしていたんだろうか。たぶん驚くのを通り越して恐怖に引きつった顔をしていたに違いない。
 なぜ先生が林の偽装死を知っている? 計画は完璧だったはずだ。誰にも漏れていないし戸籍上で死亡扱いになっているのも確認している。バレるはずがない。
「気持ちは分かりますが、林はもうこの世にいません」
 俺は動揺を悟られないよう細心の注意を払った。
「死んでもいない二人の弟子の墓参りをせにゃいかんおれの身にもなって考えろ」
「二人?」
「西畑。お前、医者は詐欺師じゃないと言っていたな?詐欺師は自分を詐欺師とは言わん。お前は誰よりも医者だった」
「何をおっしゃっているのかよく分かりません」
「おれをなめるなよ西畑。南田は元気か」
 先生の言葉を聞いて俺は全てを悟った。この人は何もかも知っている。俺は騙されたのだ。先生は何も知らないと。
「先生の他に、知っている人間は?」
 俺は観念した。南田と林に危険が及ばない方法を模索する方向に意識を切り替えた。俺のヘマで二人を殺すわけにはいかない。この人と俺はよく衝突した。弟子を殺すような人ではないと思うが、俺のことを良く思ってないのも確かだろう。
「おれの他に知っとる奴がいたら今頃お前ら全員墓の中だ」
 先生は空になった酒瓶を墓石の前に置いた。
「ちゃんと遺棄者に手を合わせているか」
「はい」
「いくら命のためとはいえ、死者を冒涜する行為には変わりない。だからおれは彼らのために死ぬまで手を合わせるつもりだ」
 そういって先生は目を閉じて静かに手を合わせた。俺も先生の横で手を合わせた。
 俺は先生の腹を疑った自分を恥じた。
「先生。今まで本当にすみませんでした」
「水臭いぞお前ら。おれもあの研究の同士だったろうが」
「先生に汚いことをさせるわけにはいきませんでした」
「若造のくせに言うわ。そういう役は老い先短い老人のやることだろうが」
 先生は笑っていた。
「先生はどうしてお分かりになられたのですか」
「何が?」
「林や南田が生きていることを、です」
「今お前が教えてくれたろうが」
「え?」
 先生はニヤリと笑った。
「死体の原型がないだけじゃ確証が持てんでな。まあそうだろうとは思っとったが」
 やられた。
 だから俺はこの人が嫌いなんだ。
 たぶん一生好きになれそうにない。
「警官にわざわざ自殺現場を見せるというのは誰の考えだ」
「南田です。犯人を追う途中での死亡事故は検察の注意が警察に向いて偽装死が隠蔽しやすくなると思ったのです」
「途中で目撃者に見付かるリスクのが高くならんか?」
「乗客からの死角が多く、安全に逃走できる自殺場所を数ヶ所に絞りました。林が死体と一緒に電車へ巻き込まれる危険性があるという点だけが心配でした」
「もっと安全な方法でやらんか。危なっかしいわ」
「ですが、うまくいきました」
「何度も教えたろうが。結果論じゃなく方法論が大事だと」
「結果論も何も、まだ戦いは終わってません」
「時効は効かんからな」
「そうではありません。NOF感染症との戦いです。俺たちは殺処分から逃げるためだけに行動していたわけじゃない」
「何か策があるのか」
「ええ。ですから医者は詐欺師なんかじゃありません」
 俺は胸を張って先生を見た。
「医者は正義の味方です」

 私はアパートの一室で目を覚ました。
 理恵は台所で食事の用意をしていたらしく、いい匂いが部屋を包んでいた。
「あ、先生。起きてらしたんですか」
 理恵が私に気付いてお茶を持ってきた。
「ありがとう。眠気覚ましにコーヒー飲んでもいいかい?」
「コーヒーはダメですよ先生。お医者様なんですからそのくらい知ってらっしゃるでしょう?」
「すまん」
 私は小さくなってお茶をすすった。
 NOF検診から2週間が過ぎていた。偽装死が成功し社会的に死んだことになっている私たちは殺処分を免れていた。
「ひとつ、聞き忘れていたことがあったんだ」
「何ですか?先生」
「キミが初めて私を訪ねてきたとき、私を選んだ理由を教えてくれなかったね。教えたら私にNOF感染症がうつると言って」
「も、もう忘れてください」
 理恵が顔を真っ赤にした。
「今にして思えばすごい自信家というか、何を根拠にあんなことが言えるのか気になって」
「知りません」
「教えてくれないか?もういいだろう?」
「恥ずかしいので言えません」
「じゃあ予想するから当たってるか教えてくれないか」
「わ、わかりました」
「私が好きだったから?」
 理恵は耳まで真っ赤になりながらコクンと頷いた。
「疑問なんだが、それでどうして私がNOF感染症になると?」
「だから忘れてくださいってば。私の勘違いですから」
「まさか告ったら私もその気になると思っ、ふごっ」
 全てを言い終わる前に理恵が私の口を塞いだ。まあ「当たり」ということなんだろう。
「まだ聞きたいことあるんだが」
「もうやめてください。お茶が冷めますよ」
「私にNOF感染症がうつったと言って泣いたことが、ふぐぐぐ」
「先生!先生!もう忘れてください!」
 理恵がすごい力で私の口を塞ぎにかかった。ちょっと本気でシャレになってないくらいの力で息ができない。私はたまらず理恵の肩をパンパン叩いた。
「はぁ、はぁ」
「す、すいません先生」
「いや、いいよ。気持ちは分かるから。まさか『コイツ私に惚れたな!』って確信もたれてたなんてふごごごご」
「先生!本気でやめてください!」
 私はたまらず2回タップした。理恵は大人しそうな顔をしているが案外自信家なんだな、と思った。
「そろそろ私のことは先生じゃなくて名前で呼んでほしい」
「え、林さんって呼ぶんですか?」
「違う、名前のほうだよ」
「佐枝子さんですか?」
「佐枝子でいいよ」
「無理です、佐枝子さんにします」
「自信家のくせに妙なトコがしおらしいな」
「佐枝子さんも、もっと女らしく、しおらしくしてください」
「私は物腰も丁寧なつもりだが?」
「言葉遣いが荒いでしょ!」
「そうか?」
「それにスキあらばコーヒー飲もうとして。お腹の赤ちゃんが可哀想だと思わないんですか」
「そ、それは反省してます」
「私たちだけじゃなくて、世界中の希望なんですからね、その赤ちゃんは」
「そうだな…」
 私は自分のお腹をさすった。ここには受精して一ヶ月経った理恵と私の赤ん坊がいる。
 同性同士で子供が残せることを証明する。
 それが西畑の出した答えだった。
 同性に恋愛感情を持つ人間の増加で出生率が低下し、その感情が病気であると認定されている2025年の日本。
子供を残せないから病気だというのなら、子供を残せる技術を確立させることができれば病気ではないという証明になる。
西畑はips細胞から精子や卵子を作り出す基礎理論を完成させ、私と理恵を使いその理論の実証に成功したのだ。
 これから世の中がどう動くかは分からない。しかし私は、私にしかできないことをやるつもりだ。         (終わり)

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