0種感染症 #06
2010/09/15
子供が残せないNOF感染症の流行でヒトを殺処分している2025年の日本。肺専門外科医の私はNOF感染症を告白した「須藤理恵」の治療を承諾し、天才医師芳原の協力を得たが理恵は芳原の協力を断り気持ちの整理をさせてほしいと言って私の前から姿を消した。
自分の不甲斐なさに失望した私は恩師、波多野先生に医者の本分を教えられ、再びNOF感染症と戦うことを決意した。
泌尿器から有益なデータが得られなかった私は、調査範囲を遺伝子にまで広げていた。NOF感染症が流行した初期段階では遺伝子の病気であるとする学説も多く、すでに患者のDNAは研究され尽くしていたが、検証結果は遺伝子に異常はないというものしかなかった。
それでも私が遺伝子を調べる理由は、そこから病原体の正体を突き止めるためではなく、あくまで理恵が子供を残す方法を見つけるためだ。
子供が残せるならNOF感染症ではない。
NOF感染症の病原体が何であろうと、子供さえ残せる体になればいいのだ。それが医者としての本分だと気付いた。
そのために必要なものは理恵の卵子だった。
理論上、精子と卵子に異常が無ければ受精して受精卵が形成されるはずだ。もちろん母体や子宮内の状態も大きく左右するだろうが、試験管ベイビーであろうと子供が残せればNOF感染症ではない。
ただ、卵子を取り出す時期がNOF検診とずれてしまうという問題をどうするか。仮に今、理恵の卵子から胎児ができたことを証明しても、NOF検診で陽性が出たらアウトだ。証明した時から検診までに発病したと認定されて殺処分対処となる。
NOF検診で陽性が出てから卵子を取り出し受精させることは、今の0種感染症の強制対処範囲を超えてしまい犯罪となる。法を犯して無実を証明する場所は世界に存在しない。
つまりNOF検診が終わったらすぐに卵子を取り出し、検診で陽性の結果が出る前に受精卵を作るしかない。これならNOF感染症ではないと正当に証明できる。
はたして私にできるだろうか。
たった一度のチャンス。失敗は許されない。正常な受精が行われても確実に胎児までいくわけではないし、どの状態を持ってして「子供が残せた」という証明になるのか法的解釈も容易ではない。トロフォブラストの確認までできて立証するべきか。しかしそれだと受精から1週間近い時間が必要だ。
私は陰性の検診結果を毎回一週間後に受け取っているのでそれでは間に合わない。
受精卵ができてから可能な限り早く立証するべきか。
しかし受精後数時間程度の受精卵では弱すぎる。受精卵は人ではないと認識する国もまだあるし、受精卵からES細胞を作っていた時代から法の整備もあまり進んでいない。法廷で戦う時間が長くなると判断され殺処分を先行されたら、いくら受精卵が赤ん坊まで育っても意味が無い。
それ以前に理恵がこの方法に同意するか分からない。
彼女に懇意の男性がいるなら双方の同意を得て実行できるかもしれないが、私事の内況によってはモラルの問題が立ち塞がる。
どう考えても分の悪い勝負だ。
しかしNOF感染症から理恵を救うには、殺処分を止めるしか方法はない。誰も正体をつきとめられない病原体を見つけるよりも、理恵に子供を生ませるほうが助かる可能性は高い。
きっと生まれるはずだ。
精子と卵子に異常がないのなら受精できないわけがない。
理恵が来なくなって1週間が過ぎた夜、私の携帯に着信があった。かつて南田と仲の良かった同期、西畑からだった。
「芳原から話は聞いた。電話ではできない話がある。M駅の西口にいるんだがこれから会わないか」と言われた。
西畑とほとんど親交がなかった私は最初驚いたが、芳原が何か重要な件で西畑と連絡を取っていたかもしれないと思いM駅西口へと急いだ。
「久しぶりだな林、元気か」
三年ぶりに会った西畑は少しやつれて見えた。私たちは自然とひと気のない所へと足が向かっていた。
「痩せたな西畑。仕事が忙しいのか?」
以前、南田と親しかった西畑は、南田の死後、医者を辞め実家の高知へ帰郷していた。
「何とか食っていけるほどにはな」
「NOF感染症の話か」
「ああ」
「その前に聞かせてくれ。お前は南田が死んであの研究に否定的だったはずだ。なぜ今になって私と話す気になった?」
「お前にだけは聞かせておこうと思ってな」
「芳原は?」
西畑は首を横に振った。
「波多野先生も知らない」
「何だ」
「南田のことだ」
西畑は胸ポケットからたばこを取り出した。火は付けずに箱をトントンと叩いてから、私の顔を見ずに話しはじめた。
「あいつはNOF感染症患者と極秘に接触していた」
心臓が高鳴った。それは南田がNOF患者と会っていたという事実より、私が理恵と会っていることがバレたのではないかという焦りのほうが強かった。
「NOF感染症は、人によって自覚症状がある。検診前に南田は、ある患者からNOF感染症を告白された」
私は動揺していた。あまりにも状況が似ている。
「南田は患者に、俺たちのチームで研究してもいいか交渉をしていたが、患者は嫌がっていた」
まさか。
「その患者の名前は?」
私は無意識のうちに南田が会っていたという患者の名前を聞いていた。これほど状況が一致しているなら、まさか。
「藤岡杏子だ」
初耳の名前を聞いて私は安堵していた。理恵ではなかった。
冷静に考えればその年のNOF検診で殺処分になる運命であるのに理恵のはずがない。
しかし西畑はなぜこんな話を私にするのだろうか。
「NOF検診の結果は1週間後に分かるのではない。陽性はその日にすぐ分かる。殺処分はNOF検診を行った当日に行われるんだ。なぜか分かるか?」
衝撃の事実だった。私が計画していた理恵を助けるプランが音を立てて崩れた。
「分からない。なぜだ」
「検診後に精子や卵子を取り出せないようにするためだ。おかげで南田が計画していたことはパァになった」
南田は私と同じことを考えていたのか。
目の前が真っ暗になった。もう理恵を助ける方法は思い浮かばない。0種感染症を甘く見すぎていた。
「西畑、なぜお前がそんなことを知っている?」
嘘であってほしい、そう思って西畑に聞いた。
「南田は計画が万一失敗に終わった時のために陽性後の自身の記録を残していた」
西畑はたばこに火をつけた。
「それを託されたのが俺だ」
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