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0種感染症 #09

2010/09/19

 子を残せないNOF感染症を殺処分している2025年の日本。私はNOF感染者、須藤理恵の治療に難航していた。かつての同士西畑からNOF検診のデータを受け取り理恵の治療に当たっていたところ、突然理恵が泣き始めた。

「先生に…先生に…NOF感染症が伝染してしまった…」
 私が、NOF感染症に? 何を言っている?根拠は?なぜそんな事が言える? 混乱している私の横で理恵は「ごめんなさい、ごめんなさい」
と泣きながら謝り続けた。
 まさか、そんな。
 NOF感染症の自覚症状なんて一切感じなかった。今も何も感じられない。いや、NOF感染症に自覚症状があるというのも珍しいケースなので当然といえば当然なのだが。
 嘘だと思った。
 そんなことありえないと思った。
 自分に限って感染するなんて、絶対ないと思っていた。
 信じられなかった。
 理恵の言葉が信じられなかった。

 私は床で泣き崩れている理恵を優しく立ち上げて、椅子に座らせた。理恵が落ち着くまで充分待ってから、聞いた。
「どうして私がNOF感染症に感染したと思ったのか教えてくれないか?」
 理恵は目を真っ赤にして首を横にブンブンと振った。
「言えないのかい?」
 理恵は首を縦に振った。
 これでは埒があかない。NOF感染症はひょっとして精神不安定になる症状があるのかもしれない。焦らず彼女を追い詰めないように接していかなければ。
「今日は帰ってゆっくり休みなさい。ただし明日も必ず来るように。約束できるかい?」
 理恵はしばらく考えてゆっくり首を縦に振った。
 理恵が帰ってから私は休憩室でコーヒーを飲んで一息ついた。思えばNOF感染者と本格的に接したのは今回が初めてだ。初回でこれじゃ先が思いやられる。
 まさか自分がNOF感染者と呼ばれるなんて。
 しかも患者から。
 馬鹿馬鹿しい、と苦笑いして缶コーヒーを飲み干した。
 気が付くと、缶コーヒーを持つ手が震えていた。

 怯えているのか。
 怖いのか、私は。
 本能で認めているのか。私がNOF感染症に疾患しているということに。
 不注意すぎたか。
 もう少し慎重に患者と接するべきだったのか。しかし理恵と長く接したのは今日が初めてだし、まだ3回しか会ってない。
 それほどNOF感染症は感染力が強いのか。
 どうして理恵はハッキリと感染が分かったのか。
 もし私がNOF感染症だったら、もう後戻りできない。理恵を救うのに失敗したら私も死ぬことになる。これからは二人が助かる方法を探さなければならない。
 少しずつ落ち着いてきた。
 まだ感染したと決まったわけではないが、覚悟はできた。
 絶対に感染しないという保障なんてどこにもなかったし、死の覚悟は私も芳原も持っていた。NOF感染症と戦うということは相応のリスクがあることも承知していた。
 南田も同じ状況だったんだと思うと気が楽になった。
 西畑から貰ったNOF検診のデータを洗いざらい調べてみたが、NOF感染者が検診で陰性を示す方法は見付からなかった。検診の制度と判定システムは完璧だった。替え玉や偽装ができる余地などどこにもなかった。検診前に国外へ逃げようにも、入国する前に厳重な身体検査を強制される。世界中で0種感染症と認定されている病気に疾患している以上、逃げ場はどこにもない。
 いよいよ手段がなくなってきた。
 0種感染症の前では一介の医者など何の役にも立たないのか。かつての南田がそうであったように。
 いや。私は諦めない。
 絶対に生き延びてやる。
 世界中を敵に回しても理恵は殺させない。
 波多野先生は「医者は詐欺師だ」とおっしゃっていた。ならば私は神になると誓ったが、どうやら神にはなれそうもない。
 だったら悪魔になってやろう。
 モラルも常識も考えない。思いつくあらゆる手段を使ってでも理恵を助ける。

「林か?どうしたんだ、急に呼び出して」
「大場、折り入って頼みがあるんだが」
「見合いの相談か?」
「身寄りのない死体がふたつ欲しい。歳はできれば20代」
「冗談はそれくらいにしとけ」
「頼む」
「いいかげんにしろ。医者が死体遺棄できるわけないだろ」
「無茶を承知で頼んでいる」
「20代で身寄りのない死体なんてあるわけがない」
「身元の確認できなかった死体が毎年出ているのは知ってる」
「見損なったぞ林。俺が首を縦に振るとでも思ったか」
「駄目か」
「当たり前だ。ついでにお前との縁も切らせてもらう」
「じゃあ私の死体を遺棄してほしい」
「何を言ってるんだお前」
「私の死体を、ある女性のものに書類上偽装してほしい」
「しっかりしろ林。お前の言ってることは意味不明だ」
「私は0種感染症に疾患した」
 私のその一言が、大場の目の色を変えさせた。
「お前まさか、あの研究を続けていたのか」
「私はもうすぐ死ぬ。だからその命を使って一人の人間を助けて欲しいんだ」
「なんてバカなことしたんだお前は!南田の死は何だったんだ!そんなんで納得できるわけないだろ!」
「時間がない。説教はあの世で聞く。大場にしか頼めないんだ。頼む」
「ふざけるなよ、俺は医者だ。そんな頼み聞けない」
「自分の死体をどうするか、死体当人が決めちゃいけないのか?」
「いけないんだよ。子供でも分かるだろ」
「それで助かる命があってもか?」
「誰だよ、その助けたい人間ってのは」
「須藤理恵という女性だ」
「そいつはお前の何なんだ?」
「患者だ」
「そいつがお前にうつしたのか」
「すべて私の責任だ」
「何でお前が死んでそいつだけ助かるんだ。駄目だ。できん」
「頼む」
「ふざけるなよ。本気で怒るぞ」
「どうしても駄目か」
「お前の死体をそいつに偽装してどうなるっていうんだ」
「彼女を社会的に死んだことにする。そうすれば検診を受けなくて済む」
「社会的に死んだ人間がまともに生きていけると思うのか」
「顔は変える」
「そういう問題じゃないだろ。犯罪者として永遠に生きろっていうのか。ずっと怯えて生きろっていうのか」
「死ぬよりかはいい。生きていればいいことは必ずある」
「死のうとしてる人間の言うセリフか」
「私も諦めたわけじゃない、これは最後の手段だと思ってくれ」
「なら、こんな馬鹿げたことを考えるのはよせ」
「頼む大場」
「落ち着け」
「大場」
「くそ、何でこんなことになったんだ」
「大場、お願いだ」
「時間をくれ。急には決められん。また連絡を入れる」
「ありがとう大場!」
「まだやると決めたわけじゃない。早まったことは絶対にするなよ。いいな?」
 同じ日、私は西畑に呼び出された。先日のM駅西口で私たちは落ち合った。
「西畑、何か進展があったのか」
「そっちはどうだ」
「ぼちぼちだ」
「林に頼みたいことがあるんだが、いいか?」
「できることなら何でも言ってくれ」
「髪、爪、皮膚、血、何でもいい、とにかくお前の細胞のある組織が大量に欲しい。合わせてお前が接触しているNOF患者のも大量に用意してくれないか」
「いや、私のなら用意できるが、NOF感染者なんて私は…」
「この期に及んで隠さなくてもいい。お前がNOF患者と接触していることの裏は取れてるんだ」
 私は心臓が高鳴った。
「西畑」
「俺たちは仲間だろ。南田のリベンジマッチだ。とにかくNOF患者の細胞が大量にいる。協力してくれ」
「それなら私のやつだけでいい。実は私もNOF感染症に疾患している」
 私のカミングアウトに大場と同じく目の色が変わると思っていたが、西畑は全く動揺を見せなかった。
「すべて織り込み済みだ。遅かれ早かれそうなると思って俺も準備してきた」
 西畑は一枚も二枚も上手だった。
「こっちは時間がない。できれば今日中に用意してもらいたい。
お前の患者が無理なら今日はお前のだけでいい」
「何をするつもりだ。治療薬でも見付かりそうなのか」
「治療薬じゃない。そもそもあれは病気じゃない」
「何だ?検査で陰性になる薬か?」
「違う。うまくいったらお前の体も一日貸してくれ」
「どういうことだ?詳しく話してくれ西畑」
「うまくいったら話す。とにかく時間が惜しい。頼んだぞ」

 私は、仲間たちは、持ちうる限りの力を振り絞った。
 同種を殺処分させるまで人類を追い込んだ、この世で最も優しくて残酷な病気、0種感染症。
 NOF検診まで残り1週間を切ろうとしていた。

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