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0種感染症 #05

2010/09/13

 子供を残せなくなるNOF感染症の流行でヒトの殺処分が行われている2025年の日本。肺専門の外科医をしていた私にNOF感染症を告白する「須藤理恵」と名乗る女性が現れた。
 私は理恵の治療を承諾し、同士の外科医芳原の協力を得たが、理恵は芳原の協力を断り気持ちの整理をさせてほしいと言って私の前から消えた。

 理恵が来なくなってから5日が過ぎた。
 NOF検診まで残り56日しか無い。有効な治療法を発見しても、それを実行し理恵が治癒するまでには時間が必要だ。
まだ手がかりすらない状態だが、最低でもNOF検診の3週間前までには治療法を見つけないと間に合わないだろう。
 つまり理恵から治療のヒントを得られる研究時間は、わずか1ヶ月ほどしかないということになる。
 その肝心の理恵が来ない。状況は最悪だった。私はどうすることもできなくて、気が付くと南田の墓の前にいた。
 私はかつて5人の同士と共にNOF感染症の研究をしていた。
全て同じ大学にいた仲間だった。思えば最初にNOF感染症を研究しようと言い出したのは南田だったし、最も研究熱心だったのも南田だった。
 4人の同期仲間で立ち上げたNOF対策プロジェクトのリーダーを務めていたのは、私たちの恩師である波多野茂久教授だ。私たちは先生を尊敬していた。先生がいなければプロジェクトすら立ち上げることはできなかっただろう。
 芳原は大学時代から天才肌だった。同期四人の中で最も成績が優秀で、プロジェクトの中核にいる存在だった。
 芳原を支えていたのが大場だ。大場の父親は日本医師会の幹部で絶大な政治力を持っていた。彼は父親の権威を嫌っていたが、その政治力を駆使して当時入手困難だったNOF感染症の膨大な研究データやカルテ、CTをプロジェクトにもたらしてくれた。NOF感染症の研究は二次感染が危惧されて相当な圧力がかかるのだが、大場の存在はその圧力を物ともしなかった。もちろんNOF感染症患者は発見しだい殺処分が義務付けられているので、生きた状態の患者を研究することはさすがの大場でも無理だった。
 南田と一番仲が良かったのが西畑だ。西畑は普段無口で神経質な性格のため、とっつきにくい人間だったがなぜか南田とは打ち解けていた。泌尿器を得意としていたのでNOF感染症の唯一の害症である「子供が残せない」という原因を突き止めるのに最も近い存在だった。しかし南田が死んでから彼は医者の道を降り、故郷の高知へと帰った。

「林か」
 私の背後から声がした。大学時代によく聞いた声だった。
「お久しぶりです、先生」
 南田の墓の前で、私はかつての恩師、波多野先生と出会った。外科医の仕事が忙しくなってから私たちは恩師と会う時間も減っていた。
「いつも来てるのか」
「いえ、考え事をしていたらいつの間にかここに来ていました」
「何か悩み事か」
「いえ」
「死人は何も答えちゃくれんぞ」
 先生は手に持っていた日本酒を南田の墓石にかけた。トク、トクという音だけが辺りに響いた。私たちは静かに手を合わせた。
「医者は何だと思う?」
 先生は半分残った日本酒のビンを墓前に置きながら聞いてきた。私はとっさに答えが思いつかなかった。
「林、答えてみろ。医者は何だと思う」
 昔、同じ質問をされたことがあったのを思い出した。答えが何だったのか忘れたが、自分なりに考えてみた。
「医者は人間だと思います」
 医者はどんな命でも救える神ではない、救えない命があるからこそ医者は人間なんだと思った。人の命を左右する立場にいるからといって驕ってはいけない。そう思った。
「違うわアホ」
 私の答えは簡単に一蹴された。人間じゃなかったら医者は何だというのだろう。神か、悪魔か。
「医者は詐欺師だろうが」
 思い出した。確かに答えは詐欺師だった。そういえば西畑が顔を真っ赤にして反論していたな。私も当時は意味が分からなかった。
「明日死ぬ人間にも最後まで治ると言い続ける。それが医者ってやつだ。病気を治すから医者なんだ。自分には治せないと患者に言う奴は医者じゃない」
「それで、治せない病気もあるから詐欺師なんですね」
「クランケの前じゃ我々はどんな病気でも治せる神でなくちゃいかん。そういう覚悟を持っとけ。お前のその情けない顔は何だ、ん?詐欺師失格だ林」
 そう言われて私は理恵のことを思い出した。
 彼女の前で私は何度言っただろう。NOF感染症は治療できないと。私には無理だと。
 私はNOF感染症と戦うことばかり考えていて、医者としての本分を忘れかけていた。NOF感染症の治療法を見つけるのが目的じゃない、理恵の命を救うことが私のやるべきことなのだ。恩師の言葉でやっと思い出した、私は医者なのだ。
 先生に礼を言い、私はすぐに病院に戻り芳原からもらったカルテとCTをもう一度全部チェックしはじめた。正体不明の病原体の発見ばかりに気を取られていたが、一番重要なのは子供を残せるようにする治療だ。泌尿器は私の専門ではないが不得意分野でもない。むしろあの四人の中で診断は私が最も得意とする所だ。理恵が帰ってくるまで必ず有益なデータを見付けだしてみせる。

 NOF感染症を治療できる神はまだいない。ならば私がその神になろう。

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