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0種感染症 #03

2010/09/09

 子供を残せなくなるNOF感染症の流行でヒトの殺処分が行われている2025年の日本。肺専門の外科医をしていた私の前に自身がNOF感染症であると告白する「須藤理恵」と名乗る女性が現れた。
 理恵はNOF検診までの二ヶ月間、自身を研究材料として私に治療法の研究をするよう懇願してきた。その理由を問うと理恵はこう答えた。

「やっぱり言えません。それを教えたら先生にNOF感染症がうつるかもしれないんです」
 全く意味が分からなかった。
 そういえば理恵の言動は最初から意味不明だった。自らの意思で感染をコントロールしているかのように振舞うこの女はいったい何者なのだろうか。
 ただの無知なのか医者を馬鹿にしているのかは知らないが悪意はなさそうなので簡単に説明したほうがいいだろう。
「須藤さん、感染症というのは病原体が宿主に及ぼす病気を言います。病原体の移動により感染するのであって、宿主の意思で感染するものではないんですよ」
 もちろん宿主が周りの人間に感染しやすいように咳や痰を撒き散らすという行為もあるが、理恵の場合はそういうものではない。明らかに言葉によって感染するようなことを仄めかしている。

「既に人間全員に病原体がある場合はどうなりますか?」
 理恵の思わぬ反論に私は次の言葉が出なかった。
 NOF感染症の病原体は未だに正体不明だった。それが治療やワクチンの研究が進まない大きな理由でもあった。NOF感染症発表当時、ヒトに伝染する病気ではなく遺伝子系の病気ではないかという反対論者も多くいたが、全ての調査結果がこの病気を「病原体のある伝染病」と示している。現在NOF感染症を感染病ではないと言う者はほとんどいない。何かしらの病原体が原因であることは間違いなかった。
 そしてNOF感染症の病原体が全人類に存在しているという仮説はこれまで学会でも何度か出ていた。
 もちろんこの学説は公式に否定されている。もし肯定してしまったら病原体保持者を殺処分している今の体制だと全人類を処分しないと感染病は無くならないという結論になってしまうからだ。
 しかし、否定するに十分な学説もない。公式の否定となっている理由は単に病原体の正体が分からず証明できないだけだ。仮にこの仮説が真実であったとしても世の中をさらに混乱させるだけだろう。

「まさかキミは、人類全員がNOF保持者であることを証明して殺処分を止めようと考えているのか?」
 NOF感染症はヒトの命を奪わない。ただ子供が残せないだけで他に害となる症状は全くなく、患者の命を奪っているのは人間の定めた法だけなのだ。だから殺処分を止めることができれば理恵の命は助かるだろう。
 しかし仮に実際そうだとして、それを世に伝えることができるのだろうか。0種感染症が制定された段階でもう後戻りができない所まできているのではないか。事実の隠蔽で私の研究も私自身も消されるのではないか。
「それができないことくらいは分かっています」
 理恵は私の言葉を否定した。それは研究が成功しないというより、成功しても殺処分は止められないと言っているように思えた。
「殺処分の停止は、ある意味、NOF感染症を治療するよりも困難だと思います。既に世界で3000万人の命が失われていますし、法の施行のために総理は命を失いました」
 理恵は私の思っていることを全て代弁した。2ヵ月後に死が迫っているにもかかわらず冷静な彼女に、私は感心した。

「私はただ先生にNOF感染症の正体を突き止めていただきたいんです。そのためなら死んだってかまいません」
「キミの熱意はよく分かった。今日は突然のことで私も十分な準備ができていないし、日を改めて診察をしたいと思うがどうだろうか?」
「はい。全て先生のご都合に合わせます」
「時間が無いというのは私も十分理解している。可能な限り早くスケジュールを組むつもりだ、一緒にがんばろう」
「はい!よろしくお願いします!」
 何度も頭を下げて診察室を出て行く理恵の姿をぼんやりと眺めてから、私は彼女がいなくなって改めて気が付いた。
 理恵が私を選んだ理由を聞いてなかったことに。

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