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0種感染症 #08

2010/09/18

 子を残せないNOF感染症を殺処分している2025年の日本。私はNOF感染者、須藤理恵の治療に難航していた。かつての同士西畑からNOF感染症で死んだ南田の真実を聞かされた私は、その帰りに須藤理恵と会った。

「先生、長い間すみませんでした」
 理恵は私の顔を見るなり深々と頭を下げた。
 私は嬉しさと焦りが入り混じった何ともいえない気持ちになったが、すぐに理恵を診察室に招き入れた。
「キミの都合も考えず勝手なことを言って済まなかった」
「いえ、私こそ何でもすると言っておきながら自分勝手なことをしてしまいました。先生の言うことは何でも聞きます、これからもよろしくお願いします」
「いや、芳原には伏せてキミの治療を行う。キミのことは誰にも言っていないから安心してほしい」
「本当にありがとうございます」
 理恵の声は詰まっていた。泣くのを必死に堪えているようだった。気丈な態度を取ってはいたが、彼女だってやはり不安で怖いのだ。間違いを犯さなくて本当に良かった。
「さっそく治療に入ろう。今日は夜も遅いから簡単な問診をして終わる予定だけど、次に来る時は精密検査をしようと思っている。朝食を抜いて前日夜に検便、当日朝に検尿を忘れずに。これまでのように夜ではなく朝に来るようにね」
「わかりました」
 理恵の復帰に喜んでばかりもいられない。残された時間はわずかだ。1分1秒でも時間が惜しい。理恵に記入してもらった問診表には特筆すべき点は見当たらなかった。
 理恵が帰ってから私は、診察室でひとり頭を抱えていた。
 人工授精による受精卵の証明に全てを賭けていた私は西畑の話を聞いて理恵を助ける手段を無くしていた。検診当日に殺処分が行われるのならば証明しようがない。病気ではないのなら治療のしようがない。
 NOF検診を何とかしなければ。
 もちろんあれは人命を左右する検査だ。生半可な精度ではない。しかし突破できる道は必ずあるはずだ。
 NOF感染症のまま検査だけ陰性を得るのは明らかに違法行為。ばれればテロ加担者として処罰されるだろう。医者として取る行動を超えている。
 なぜ私はここまでして理恵を助けようとしているのだろう。
 南田の無念を晴らすためか。健気に私を頼る患者に感情移入しているからか。不当な殺処分に異論があるからか。
全部当てはまっているが、それだけでは説明しきれない何かがある気がした。

 NOF検診は全国800ヶ所にあるNOF総合検診センターで一ヶ月かけて一斉に行われる。検査時間は一人1分ほどで終わり、1週間後に通知が来る。規模にもよるが一日で平均4〜5000人をひとつのセンターで処理するので周辺地域は相当混雑する。
 西畑の話では陽性反応を示した人間は当日に殺処分が行われるという。検診は規模が大きく医療関係者も多数関わっているが、外科医の私でもこの事実は知らなかった。
 私は西畑から貰ったメモリカードをPCに挿した。
 画面に映し出されるデータ群を見て、私は息を飲んだ。
 検診に関わる施設、人物、機器、スケジュール、判定基準が大量に網羅されていた。まさにNOF検診の全てを記しているといっても過言ではないデータが揃っていた。
 南田が集めたのだろうか。これほどの機密データを。どうやって?私は携帯を握り西畑の番号を押そうとしてやめた。こんな話とても電話ではできない。
 心強いデータを貰ったが、しかし同時に絶望した。
 これほどのデータを持っていた南田ですら、NOF感染者が検診で陰性を示す方法を見つけられなかったということだ。
私より数段先を行っていた南田ですら死んだんだ。
 どうすればいいんだ。
 西畑は「自分なりのやり方で戦う」と言っていた。
 どんな方法を考えているんだ。NOF感染者が子を残せる方法か。検診で陰性を示す方法か。殺処分を止める方法か。
 私に何ができるんだ。
 西畑にできなくて私にできることは何だ。
 大学仲間4人の中で私が最も優れていたものなんて、診断くらいしか思い付かない。心理療法も遺伝子療法も外科手術も私より得意な者はたくさんいる。
 今の私にしかできないことは何だ。

 理恵か。
 今の私の優位点は、理恵という協力者がいることか。
 西畑もNOF感染者に協力してもらっているかもしれないしだからこそ私と協力できないのかもしれないが、それでも理恵の存在は私にとって大きい。南田もNOF感染者と協力してダメだったが、私はNOF感染症になっていない。だからこそできることがあるはずだ。
 まずはNOF検診で陰性を示す方法を探そう。
 南田が駄目だったからといって理恵も諦めるにはまだ早い。
検診のデータはあるのだから、理恵が前回行った検診の情報を聞きだして彼女に特化した方法を見つけよう。
 翌日の朝、私は理恵の精密検査を行った。
 異常はどこにも見られなかった。強いて言えば理恵の元気がないことくらいだった。
「昨日は遅かったから疲れてるみたいだね」
「いえ、大丈夫です」
「今日は帰ってゆっくり休むといい」
「あの、先生」
「何?」
「お聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
「何でも聞いてごらん」
「とても失礼なことで恐縮なんですけど」
「構わないよ」
「先生は患者の裸を見ても何とも思わないのでしょうか?」
 いきなり突拍子もない質問に私は絶句した。
「す、すみません。今のは忘れてください」
「いや、まあ、職業柄そういうのは感覚が麻痺しているから、異常を探したり治療を考えることに集中して雑念は全く湧かないよ。いちいち気にしていたら大変だ」
「そ、そうですよね。それを聞いて安心しました」
「今回の精密検査で何か不快に思ったことがあった?」
「いえ!そういう意味ではなくて、すみません!」
「いや、謝らなくていいよ。言いたいことがあったら隠し事しないでどんどん言ってほしい」
「先生は、患者さんから『やさしい』って言われたことありますか?」
 理恵の質問は、NOF感染症とは全く関係がない、私のことばかりだった。しかも質問の内容は突拍子もないことばかりで返答に困った。
「そうだな、治療が終わったらみんな感謝してくれるけど、やさしいって言われることはあまりないかな。厳しいことも言うし」
「そうですか」
 理恵の顔色が急に悪くなっていった。どうしたのだろうか。
「大丈夫?今日は無理せずに帰ってゆっくり休みなさい」
「先生、先生、あの、私の治療はもうこれで終わりにしてくれませんか」
 理恵が慌てて帰り支度を始めた。あまりに突然のことで私は呆気に取られた。理恵がドアノブに手をかけようとした所でようやく事態を把握した私は、理恵の手を掴んで引き止めた。
「ちゃんと説明しなさい!私に何か不満があるのなら教えてほしいんだ。頼む!」
 私に掴まれた腕を見て、理恵は力なく床に腰が落ちた。
 急にどうしたのだろうか。いったい理恵に何が起こっているのだろうか。私はどうすればいい? 掴んでいた手を離すと、理恵はしくしくと泣き始めた。

「先生に…先生に…NOF感染症が伝染してしまった…」

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