0種感染症 #02
2010/09/07
子供を残せなくなるNOF感染症が爆発的に流行し、世界規模でヒトの殺処分が行われている2025年の日本で、私は肺を専門とした外科医をしながらこの感染症を研究していた。
ある日、私の元に自身がNOF感染症であると告白する患者が現れた。
「私、NOF感染症なんです」
彼女の言葉を理解した瞬間、私はこの感染症を研究しているうちに同じNOF感染症にかかって死んだ多くの研究者を思い出した。
目の前の女性がまるで死神に見えた。
「安心してください。先生にはうつしませんから」
何を言っているのか理解できなかった。感染症が自分の意思で伝染をコントロールできるなどありえない。
私は医師になって初めて患者に対して恐怖心を覚えた。
「お名前は?」
私は動揺を悟られまいと精一杯強がってみせた。NOF感染症の患者と対面したことはあったが、自らこの病気をカミングアウトされたのは初めてだった。
死を約束されている目の前の女性はにっこりと微笑んだ。
「申し遅れました。私は須藤理恵といいます。先生はご存知ないかもしれませんが、先生の高校の2年後輩なんですよ」
聞いたことの無い名前だった。心のどこかで全部嘘であってほしいと願う自分がいた。
「先生、NOF感染症は害となる症状が一切ないと言われていますけど、自覚症状はあるんです」
未だ治療に成功した例が一件もない、殺処分対象の0種感染症にかかっているにもかかわらず、須藤理恵と名乗る女性には全く悲壮感がなかった。それがかえって不気味に見えた。
「私に何の用でしょうか?もう問診の時間は過ぎていますよ」
「先生がNOF感染症の研究をしていると聞きました」
「酷ですが今の医学に0種感染症の治療法は存在しません」
「今までに存在しなくても、これから存在するかもしれないわ」
「私に治療法を見つけろとおっしゃるのですか?」
「私を使って研究していただきたいんです」
「0種感染症は発見しだい殺処分するのが決まりです」
「次のNOF検診まで二ヶ月あります。どうせ死ぬなら何かの役に立ちたいんです。お願いします。失敗してもどうせ死ぬんです、構いません。先生の好きに研究してください」
私は感心していた。
職業柄、末期がん患者を多く診てきたがこれほど芯のしっかりした人間は初めてだった。死に対する恐怖と絶望よりもしっかりと前を見て最後まで生きようとする姿に感動すら覚えていた。
しかし0種感染症は発見しだい殺処分しなければならない。
感染者を故意に隠蔽する行為は、危険度の高い伝染病を拡散させるテロと同じだ。極刑は免れないだろう。
普通に考えて、そんな危険な賭けをしてまでNOF感染症を研究する医者などいない。私は今までNOF感染症を何とかしようと研究していたが、感染者を隠蔽しながら拡散のリスクを背負おうのは人道に反する気がした。
それに私だってまだ死にたくはない。
「なぜ私を訪ねたのですか?」
赤の他人のために自分の命を投げうってまで研究する人間がいると思っているのなら、彼女がしていることは勇気ではなく無謀だ。それほど私がお人よしに見えたのだろうか。
「理由は言えません…」
これまで立派な態度を崩さなかった彼女が初めて力なくうつむいた。
「先生にご迷惑はおかけしません。自覚症状の有無はあまり知られていないですし、私は肺を患っていることにすれば第三者には分かりようがありません」
確かに自らNOF感染症と告白する人間は見たことがない。
NOF検診までに治療法の発見が間に合わなくても、誰も私を伝染病拡散の犯人と断定することはできないだろう。
これが最後のチャンスかもしれない。私がNOF感染症と戦う最後のチャンスかもしれない。この機会を逃してしまったらもう二度とあの病気と闘えない気がした。
しかし、なぜ私を訪ねた理由が言えないのだろうか。
医師と患者は信頼関係が大事だ。患者が隠し事をしていては治療もままならない。小さなことだが始めにはっきりさせておくべきだろう。
「分かりました。しかし今後は私に対して隠し事はしないと約束してください」
「ありがとうございます!」
私の返事を聞いた彼女は満面の笑みで喜んでいた。
「それでは教えてください。なぜ私を選ばれたのですか?」
彼女はうつむいたまま何も言わなかった。
心の準備がいるのかとしばらく待ったが、彼女は無言でうつむいたままだった。
「医師と患者は信頼関係が不可欠です。これでは治療法の発見もままならないのは分かるでしょう?さっきまでの勇気はどこに行ったんですか。死ぬ気なら何でも話せるでしょう」
少し配慮に欠けた言葉だったが、私は強引に話を進めた。
彼女はずっと思いつめた顔をしていたが、ようやく観念して口を開いた。
「やっぱり言えません。それを教えたら先生にNOF感染症がうつるかもしれないんです」
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