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0種感染症 #04

2010/09/11

 子供を残せなくなるNOF感染症の流行でヒトの殺処分が行われている2025年の日本。肺専門の外科医をしていた私にNOF感染症を告白する「須藤理恵」と名乗る女性が現れた。
 理恵はNOF検診までの二ヶ月間、私に治療法の研究を懇願してきた。私はNOF感染症と戦う最後の機会だと思い治療の了承をしたが、なぜ理恵が私を選んだのか知ることはできなかった。

 理恵と面会した翌日、私はかつて同じ大学で研修していた同期の友人で食道を専門とした外科医の芳原卓真の所へと向かった。彼はかつて私と共にNOF感染症の研究をしていた同士の一人だ。もちろん芳原には理恵のことは伏せてある。
「久しぶりだな林。患者をほったらかして俺に何の用だ?」
「お前と会う時間くらい作れるさ」
「ヒマなのか、羨ましいな」
「仕事だよ。NOF感染症の研究を再開しようと思っている」
「あれはもう終わっただろ。俺たちじゃ手に負えないっていう情けない研究結果が出たじゃないか」
「お前に預けているNOF感染症患者のカルテとCTのコピーをあるだけ全部よこして欲しい」
「何があった」
「それとついでにお前の時間も欲しいんだが」
「南田のことを忘れたのか?また仲間を殺すっていうんならお断りだ」
「お前に危険は及ばないようにする」
「ふざけんなよ、そんな問題じゃねえだろ。南田のことを全然反省してねえのかって聞いてんだよ」
「あいつの死を無駄にしたくないんだ」
「俺らの誰かがまた死んだらそれこそ無駄死にだろうが」
「私はまだ諦めてない」
「何があった?なぜ突然こんな話をする」
「何も無い。NOF感染症と戦う意思はずっと変わってない」
「言えよ。何かきっかけがあったんだろ?」
「きっかけなら毎年あるじゃないか」
「なんだよ」
「あと2ヶ月したら南田の命日だ」
「NOF検診か」
「あれが来るたびに私は無念で潰されそうになる。自分の無力さに腹が立つ。おそらく死ぬまでずっとそうだ」
「それが俺たちの背負った業なんだよ」
「悪かった。お前の時間が欲しいという話は無かったことにしてくれ。カルテとCTのコピーだけ貰う。それでいいだろう?」
「駄目だ」
「分かってくれ芳原」
「分かってないのはお前だ、林。俺に危険が及ばないようにするという考えを改めない限りコピーは渡さん」
「お前、まさか」
「林まで死んじまったら寝心地悪いしな。お前が変な気を起こさないようカルテとCTを預かったのに結局俺まで折れたら意味ないわ」
 芳原は大笑いした。
 南田がいたら何と言うだろうか。私は友人の変わらぬ友情を噛み締め一緒に笑った。

 芳原の命を懸けた協力を受けたが、理恵のことはまだ伏せている。理恵も命を懸けて私を頼っているのだから、まずは彼女に許可を貰うのが先だろう。
 私が芳原を頼ったのは、彼が精神療法に優れているからだ。芳原は外科医だが、食道という患者が躊躇しやすい部分の治療をスムーズに行うため臨床心理士の資格も持っている。心理学資格の中で難易度が高いものを外科医でありながら有している彼は仲間の中で最も天才肌の医師だ。
 そんな稀有の才能を持つ芳原がいても同士の南田はNOF感染症に感染してしまう。それほどこの病気は感染力が高く危険なのだ。
 しかし芳原がいないとNOF感染症の治療法を見つけることなど不可能だ。それほど彼は素晴らしい医師の才能を持っている。理恵には芳原との協力を許可してもらいたかった。
 その日、理恵は昨日と同じ時間に私のいる診察室にやってきた。私はさっそく芳原の名前を出し、彼の協力が治療に不可欠であることを話した。
 しかし理恵の表情は暗かった。
「先生の研究の為なら何でもします。けれどできれば私のことは言わないで欲しいんです。わがままですみません」
 理恵の気持ちは分かる。NOF感染症をカミングアウトするだけで相当な死のリスクを背負っているのに、その情報を他者に漏らすのがどんなに怖いか想像に難くない。
 何とか理恵の存在を伏せて芳原と連携するしかないのか。
しかしそれでは芳原の才能を生かせない。病気の治療は患者の力が大きく左右する。彼は対話をすることで患者の力を引き出し治療に役立たせる稀有な才能の持ち主なのだ。
 何より命を懸けて協力を申し出た彼に失礼な気がした。
「キミは死んでもいいと言ったが、医者は患者を死なせてもいいと思って治療などしない。キミの治療は彼の協力なしでは成功しないんだ。彼もキミと同じ命を懸けている。キミが彼との協力を許可してくれなければ私もこれ以上治療できない」
 私は思っているありのままを理恵に伝えた。芳原を信用できない患者は救うことができない、そんな気持ちだった。

「少し、気持ちを整理する時間をください。決心ができたらまたお伺いいたします。わがままばかりで本当にすみません」
 大きく落胆した理恵はよろよろと椅子から立ち上がった。そのまま、おぼつかない足取りで診察室を出て行った。
 思うようにいかず焦っていた私は、しばらくして自分の言ったことを後悔しはじめた。あまりにも患者のことを考えていない自分勝手な主張だった。芳原にも理恵にも失礼なことを私はしてしまったのだ。
 結局私は逃げていただけではないのか。芳原に頼っているだけで本気でNOF感染症と戦おうという気持ちがなかったのではないか。私を頼ってきた患者に対し、私はそういう姿を見せてしまったのではないか。
 時間が経つにつれて私は激しく後悔していた。何と拙い医者であろうか。こんな未熟者に、世界で誰も治療できない難病を治すことなどできようか。その自責の念が渦のように勢いを増して、NOF感染症と戦う気力をどんどん奪っていった。
 翌日、理恵は来なかった。
 残り二ヶ月がジワジワ削られていく感触がして寒気がした。
時間がない。理恵は来ない。芳原に合わす顔がない。どうすることもできなくて私はただ焦っていた。

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