RPGとスケール感
2016/08/13
「たった数人の子どもが世界を救うなん馬鹿げてる」
…と誰かが言った。
でも、たった数人が現実の世界を救ったことなんて、例え大人であっても人類史上ただの1度もない。
前例がないんだから、子どもと大人の差なんて些細なものだと思わないかい?
え?
知られていないだけで、ひょっとして誰かが世界を救ったことがあったかもしれないだろって?
いいですか。
そもそもですね。
世界を救うためには、たったひとつだけ、重要なことが必要なのです。
それがなければ、絶対に世界は救えません。
世界を救うってことは、世界の滅亡から人類を守るってことなんです。
つまり、この偉業を達成するには世界滅亡の危機が必要なのです。
世界を救うために必要なこと。
それは世界を滅ぼす危機なんです。
で。
自分が「誰も世界を救ったことがない」と断言したのは、世界を滅ぼす危機というもののハードルが高すぎるからなんです。
人類が持っている核兵器をすべて打ち尽くしたとしても、地球の形はたぶん変わりませんし、地中深くにいる微生物まで殲滅させることは不可能でしょう。
人類も科学も、まだまだ星や宇宙といった広大なスケールの前では無力です。
でも。
それでは困るんです。
世のシナリオライターが。
簡単に世界が滅んでくれないと脚本が作れない。
ですから、いかに簡単に世界を滅ぼすか日々考えているわけですね。
「世界なんて救わなくてもいい」
…と誰かが言った。
ひとつの国…いや、ひとつの町の中の出来事でもドラマは作れる。
別に世界を救わなくたって、人を一人救うだけの話でもいいじゃないかと。
そうですね。
近年のRPGもこういった傾向にシフトしているみたいです。
…まあ全世界を舞台にしたくても作れないからっていう大人の事情は見ないようにしましょう。
あたしゃ思うんですよ。
たった数人の子どもが世界を救ったっていいじゃんって。
そういう、こっぱずかしい話が気軽に作れるのって悪いことじゃないと思うんですよ。
リアル追及したって、どうせ経験値溜めてレベルアップっていうRPGのシステムそのものが非現実的なんだからさ。
ガツーンと救っちゃおうよ、世界を。
ガツーンと滅ぼしちゃおうよ、世界を。
8/12の拍手お返事です。
■ヨウコ編の最初のボスでたぶん気付きます。あ、こいつクリアとかバランスとかまったく考えてねぇなと。
■今だと半額以下ですよ!!
■まぁ古墳がいっぱいあるから全く無いとはいいませんけれど。
和製ゾンビがいないのは恐らく和製ミイラが少ないのと同じ理由でしょうね
即身仏あたりは別として
■あなたつかれてるのよ!今日はお風呂入ってごはん食べて早く寝なさい!
■ひとり連携!!
■いやーでも寝起きで何かするって面倒じゃん?頭ぼけてるし
■つまり天上天下唯我独尊
■なんてふてぇやろうだ…とっつかまえてやる!
■歯医者さんってかる~くエグいこと言うよね
■そこに百合をもってくるとは…こやつめわはは!
■いえす、ゆーしゃるだい
■Win10にしてトラブル一切ないや。まぁソフトやハード買う時はWin10に対応しているものしか選ばないから当たり前っちゃ当たり前か。ツクール2003だけが怪しいけど
■真っ黒じゃなくてちょいグレー的な配色が最近のトレンドみたいね
真っ黒の上に真っ白の文字はコントラストが強すぎるから疲れそうですし
■サウンド周りも環境に個人差ありますからね…
■進んどらんわ!
■わ、忘れてないもん!
■グレーはけっこう目に優しいと思うんですよね
< ワイヤレス
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目と耳に与える負担 >
ルビィ編は全ての七大驚異を制覇するというロマン溢れるシナリオなのです
(ただし出現するボスは中ボスで、他主人公時に出現する強敵は出ないので無理ゲーでは無いです)
多分ヨウコ編は↑でいう全遺跡攻略+他主人公時の強敵が出現、みたいなのに相当する難易度なのでしょう
今からロマンティックが止まりませんね