希望と絶望のバランス感覚
2016/08/07
毎日更新しはじめて1週間経ったけど、シナリオ作成が何一つ進んでないという事実。あんま毎日自虐してもしょうがないから、今日の愚痴はこのくらいで。
もうナタリー編は置いといて他の作業しろよとか言われそう。
そうやって後回し後回しした結果が今のコレですからねぇ…
いずれやんなきゃいけないものだし、ラスダンイベントが完成しないとラスダンが作れないですしね。
そこまで悪くはないと思うんですよ。今のナタリー編。
どう考えてもみんな報われない絶望感は無印以上ですし、実はみんな脳みそだったっていう無印オチよりも救いようのない話ですしね。
現実世界は出てこないけど、水槽の脳で済んでたほうがまだ幸せかも。
え?
まぁたバッドエンドなのかって?
いや待ってくださいよ。
「これどうせみんな助かるんだろ?」ってのが見え見えの話なんて、見てて退屈じゃないですか。あるでしょ、なんか助かりそうな空気みたいなの。
「これどうやってもみんな助からないだろ、こっからどうすんだよ」みたいな話のほうが、先が気になると思うんですよ。
でも理想はそうなんだけど、現実はね。
あまりにも打開困難な話は、作者自身が解決策を示せないっていうね。
解決策が難しければ難しいほど、ハードルも上がる。
デウスエクスマキナが強引に解決させるとかいうアンフェアなのはなしで。
アンフェアな解決方法は、読者が白ける。
だって「どうやって解決させるんだろう?」って期待しながら見てるわけでしょ?それがいきなり絶対的な力が出てきて解決させてしまったら、今まであれこれ考えてきた読者がバカみたいじゃないですか。
だから、解決策はできるだけ読者に提示した材料だけで作るのが理想。
でもあんまり提示しすぎると先が読めちゃうから、さじ加減は必要。フェアとアンフェアのラインは個人差あるけど、できるだけ難しいほうがいい。
ただ、あんま行き過ぎると「これもう完全にバッドや。見るのやめよう」になっちゃうから、バランス感覚は大事だと思う。あまりにも解決困難すぎる話は、逆に先が期待できなくなるというか。先を考える気持ちが沸かなくなる。
今のナタリー編で問題なのは、ここかもしんない。
昨日ネタにした進撃の巨人なんかは、そこらへんのバランスが絶妙で素晴らしい作品だと思ってます。絶望的だけど、どうにかなる方法はあるんじゃないかっていう希望の余地というか、そのバランスが絶妙なんですよね。「この方法で助かるかも」っていう希望をチラチラ見せるやり方がいやらしい。
希望と絶望のバランス感覚というか。
読者の興味をコントロールするという意味で、この部分は重要だと思う。
ま、そんなわけで。
ナタリー編いつになったら終わるんだろ…
8/6の拍手お返事です。
■NPG機関の中枢が破壊されたらみんなの脳が全部死んじゃうから…
■ツッコミにくいな!
■ずっとテキストだけってのもつまんないですしね
■これ縦カットイン用の画像だからサイズの関係で低くなってる
■カツラが帽子ってネタはよく聞くけど夕ケコプ夕ーは初めてかも
■おまえかい!
■そもそも矢沢永吉の顔がピンとこない…
■ドSkayo!
■中間くらいですねぇ。確かラヴィのがでかかったはず
■そうやって白紙から作ったのが今のシナリオという…
■演出しにくいシナリオとかありますもんねぇ
■そんだけたくさんお帽子どうすんねん
< そうだ椅子のせいだ!
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管理人の罪 >
後悔しながらNPG機関の中枢を破壊されてムゴい最期を迎える
展開を期待してしまう自分はおかしいのでしょうか?
まんまロボボプラネットですが。