創作のパーツに「マクガフィン」というものがあります。
登場人物にとっては重要なものだけど、作品にとっては別なものに置き換えても支障のないものです。
ルパン三世で例えるなら、ルパンが盗む宝石は大抵がマクガフィン。
ルパンが欲しがるものであれば、他の貴重品に変えても支障がないから。
元々ヒッチコックが言い始めたものらしいんですけど、RPGにもマクガフィンってありますよね。
ゴブリンに盗まれた村の秘宝とか。
魔王を封印するための神器とか。
村が大切にしてるものなら何だっていいし、魔王を封印するものだったら何でもいい。
要するに、物語を動かすアイテム以上の意味を持たせないってことです。
ヒッチコックは、小道具にこだわると観客がサスペンス部分に集中できなくなるという考えを持っていたようです。
メインディッシュを出す前に客を前菜で夢中にさせすぎないってことですね。
こう書くと簡単なんですけど、実際は難しい。
例えば、魔王を倒す剣という記号だけ用意する。
プレイヤーにとって重要なのは、その剣をどうやって手に入れるかという部分で、作り手にとって重要なのは、どういう障害を用意するか。
でも今の時代、こんなコンシューマRPGなんてありませんよね。
剣の存在意義はもちろん、そのアイテムの歴史や背景まで要求される。
世界観が濃厚になることは、情報量がどんどん膨れ上がっていくことも意味する。ヒッチコックの考えとは少し違いますが、遊ばせる前に疲れさせてしまうデメリットはあるかもしれませんね。
道具ではなくて人の場合はどうでしょう。
MMORPGのようなハクスラ系やWIZを代表とするダンジョンアタック系って、だいたい主人公はキャラクタークリエイト方式になっています。
冒険してくれるなら誰でも良く、プレイヤーの数だけ主人公が置き換わっても支障ないわけですね。少し乱暴かもしれませんが、主人公はマクガフィンといえるかもしれません。
スパイ映画のヒロインにしても。
「主人公の隣にいて絵になるのであれば、毎回違っても良い」という考えなら話ごとに違うヒロインが出てくるかもしれません。まぁこれは言い方がちょっと酷いですけれど、ルパン三世のヒロインは不二子の他にいるみたいな感じでしょうか。ヒロインは毎回置き換えても問題はないけれど、不二子の代わりはいない、みたいな。
代替できるものと、できないもの。
ゲームデザインで考えるなら、無駄なものを削る時の判断材料になるかもしれません。場所、道具、人、それは置き換えられるものかどうか。その判断は「この作品でどういうことをやりたいのか」っていう芯が明確になってないと難しいかもしれませんね。
1/1までの拍手お返事です。
■ことよろ!絆って無ければそれ以上の感情はないけど、できてしまうと壊れるのが怖くなっちゃうみたいな感じですかねぇ…
■ことよろ!まあなるべく前向きに考えていかないとですね!
人生は楽しんだ者勝ちですしね!
■おお、ちなちゅ忘れてたわ!ピンク髪にしときゃよかったな~
■ことよろッ!ベルは背が低いんで上が無防備なんですけど、シークレットブーツがけっこう高いからダイジョウブ!明日も更新しちゃるゼー!
■うむ。我々は多くの先人たちの屍を乗り超えてきた。そしてインターネットという情報調査能力を手に入れた今、我々はその地雷原を闊歩できる力を手に入れたのである!そして私は父ジオンの元に召されるであろう!!
■線を細くしましたね。でもめっちゃ描きにくくて混乱中…
お陰で帽子の立ち絵が全く進んでない。
見放されてるのかもよくわからんのが救いだっていってた
今年もよろしくね!顔は見えないけど!