RPG論2
2015/03/26
前回の続きです。
RPG論とは。
そもそも、RPGのマンネリは20年以上前のファミコン時代から指摘されていたような気がするんですよね。
小さい頃の記憶なのではっきりとは覚えてないんですけど、でも確かに当時子供だった自分でも「RPGはマンネリしてきたな~」という記憶はうっすらと覚えています。
いわゆる懐古主義というものは。
乱造された昔のRPGの中で際立った名作だけが記憶に残り、それがあたかも当時のRPGの水準のようなイメージとなって美化されてしまっているのも原因かもしれませんね。
時代の違う作品同士を比較し検証することに、自分は意味を感じません。
RPGは当時の時代背景とテクノロジーに大きく左右されるものだと思っているからです。
ファミコン、スーファミ時代のRPGは、2D表現が限界に達していました。
ドラクエVが売上を落としたのは、発売延期だけが理由ではありません。当時はものすごい量のRPGが乱造されていたのです。2D空間でどうやって新しい世界観を作るか、当時のRPGはまさにマンネリとの戦いでした。
そこへイノベーションが起こります。
PS、セガサターンといった3D表現が可能なゲーム機の登場です。
あれだけマンネリと言われた中世ファンタジーRPGが、新しい技術によって新鮮に見えたものです。当時はローディングの発生するポリゴン人形を否定する意見も多く、ドラクエVIはPS発売から1年も経った後にスーファミで発売。
旧技術と新技術がぶつかり合ってたんですね。
結果的に大容量のCDメディアに押され、ロムカセットは消えていきます。
PSやサターン以前にPCエンジンCD-ROMがありましたが、市場はロムカセットが主流でした。後に発売されたニンテンドー64は3D表現が可能なロムカセットでしたが、容量の壁にぶつかってCDメディアに市場を取られてしまいます。
なぜCD-ROMや64が市場を取れなかったのか、それはCDメディア単体や3D表現単体だけではイノベーションを起こすのに力不足だったからでしょう。3D表現とCDメディアが二つ揃って初めてイノベーションを起こせたわけですね。
描き割りの上から3D表現された圧倒的なボリュームの世界は、従来のチップで表現していた世界を置き去りにしました。あれだけマンネリ感のあったファンタジー世界が、とても新鮮に感じられたのです。
「昔のゲームはムービーなんて無かった。見てるだけのゲームなんてゲームじゃない」とおっしゃる方は、この時代の流れをよく覚えておいてください。
ロムカセットが消えたのは、2D表現のマンネリが打破できなかったからなんです。少ない容量、あるいは平面世界を構築するための技術が限界だったからこそ、市場から淘汰されてしまったのです。
いつの時代のRPGであっても、プレイヤーを飽きさせないマンネリとの戦いでした。昔の名作を挙げて「どうして今の時代はこういう名作が作れなくなってしまったんだ」と嘆く前に、なぜその名作が模倣されなくなったか考えるべきでしょう。名作が消えたのは、ユーザーがその表現に飽きたからなのです。
PC98時代のRPGを今の時代で遊んだら、それは新鮮でしょう。
なぜなら、PC98時代のゲームデザインのRPGは今の時代に氾濫していないからです。RPG論を考える上で重要なのは、どういうゲームデザインのRPGが市場に出回っていたのかを考慮することです。だから、時代の違うRPGを比較することはナンセンスなのです。
PS2時代になると、描き割り世界が3D空間で表現されるようになり、マンネリを打開していきました。まあ自分は3D酔いが克服できなくて、このPS2時代で脱落した人間なんですけどね。
長らくRPGは安泰しますが、かつて2DのRPGがそうだったように表現の壁にぶつかります。
そうです。3D表現の先が無いんです。
2Dの壁があったように、3Dにも壁がありました。
PS2中~後期で再びRPG倦怠期が訪れます。
そこで勢力を拡大したのが、MMORPGでした。
オンライン環境のハードルも低くなり、コアユーザー限定の狭いジャンルから一大ジャンルへと発展します。
でも自分的に、MMORPGはイノベーションになり得なかったと思います。あくまでRPGの一ジャンルに留まった感がありますね。プレイし続けるのに多大な労力とモチベが必要なあたりが原因かもしれません。
この辺りから、RPGに疲れた人々が増え始めます。
その結果、RPG市場が求めたのは3Dの先ではなく、2D回帰となります。
携帯ゲーム機の興隆ですね。
ハードはPS3時代に突入し、マンネリを打開するべく3D表現の競争は熾烈を極めます。海外の中小ゲーム企業は統合を繰り返して消滅し、ワールドワイドスタジオがAAAクラスのソフトをリリースする市場となります。国内は大作ソフトと中小ソフトで二分化されました。国内も海外も中規模のRPG、つまり中間が無いんです。
個人的な感覚になりますけど、この技術進化もRPG表現のイノベーションに成り得なかったような気がします。2Dチップから描き割りへ、描き割りから3D空間へ進化した先が無いんですよ。解像度は大きく進化しましたが、イノベーションには至っていないといいますか。
じゃあどこへ向かったのかというと、いつでもどこでも手軽に遊べる携帯機のニーズが高まりました。DSとPSPは携帯機市場を爆発させ、数多くの名作RPGを生み出しました。
まあ自分は目が悪いんで、携帯機時代も脱落した人間なんですけどね。
熾烈な表現競争に疲れた人たちはシンプルな携帯機に没頭しましたが、それも長くは続きません。2D回帰は当初こそ目新しいものでしたが、しょせんは回帰表現。いつかは飽きが来ます。マンネリとの戦いは終わりません。
3DS、PSVita時代になると、携帯ゲームも高性能となって表現の進化は止まりません。しかしそれは2D回帰から3Dへ再び舞い戻ったことを意味します。
しょうがないんです。
ずっと同じ技術では表現の限界があるんです。飽きちゃうんです。
ポケモン最新作がついにドット絵ではなくなりましたけど、きちんと売上が取れているのはそれが正解だったからでしょう。立ち止まるわけにはいかない。
携帯ゲームにも疲れてしまった人々が行き着いた先は、スマホでした。
再び3Dから2D回帰の流れです。
一方の据え置きCSでは大作志向が続きます。何となく、もう中小の入る隙間すら無くなっていくような気がしないでもありません。大作RPGは非常に素晴らしいゲームなのですが、消費型コンテンツの波に埋もれやすく、3年かけて作った大作RPGが発売後3ヶ月で話題にも上らなくなるほどシビアな世界に。
え?
RPG論じゃなくてRPG歴史観になってるじゃねーかって?
そうですね。
でも、時代の流れを無視してゲーム内容だけ切り取れないんじゃないかなぁ。時代がRPGを作っているんですよ。当時のプレイヤーの趣向がニーズとなって、それがRPGを作っていたと思うんですね。
つまり今のRPGで盛り上がれないのは、そのゲームに問題があるのではなく、単純に飽きているだけだと思います。RPGを殺しているのは、その高くなりすぎたハードルではないのでしょうか。
今のRPGはシンプルで疲れないものが求められているのかもしれませんね。
3/25までの拍手お返事です。
■あそこらへんは税金対策みたいなイメージありますね
■そうそう、動きもキュートなんですよね。がうがう
■変なのが多いんかいw
■やあ、僕はキャッシュ。僕と一緒に冒険しよう!
■スーファミのRPGも、見てるだけのイベントとかけっこう多くて批判されてたんですけどねぇ
■じつはDQ7未プレイという
■あったなぁ。シャドウタワーとか
■個人的なイメージとして、海外スタジオは中小が淘汰された末に残った精鋭ばかりで、逆に製作の自由度が落ちてる気がします。その部分をインディが担ってるイメージですね
■AAAクラスは売り上げの絶対数が求められてるから、ヘタに色が付けられないってのも理由かなぁと
■プレイヤーがゲームで冒険できなくなったのは、製作者がゲームで冒険できなくなったからかもしれませんね。冒険の意味が違いますけど
■ヘンタイでち!
■がうがう!
■FF10とミンサガとFF13は乗り物酔い薬で乗り切りました
■USA!USA!
■サラマンダーよりはやーい
■あそこらへんの中小RPG、PS4で淘汰されないか心配で…
この時代になっても製作で冒険してるのは貴重ですしね
■いやーうっかりうっかり!
■文句言うのは簡単ですけど、褒めるのはけっこう難しいですもんね
■え!ディ○ニーって3D酔いあるのか~やばい~
■あぶない!それに近いネタを別主人公でやってるからあぶない!
それ以上いけない!
■自分も叩くときはけっこう叩きますしね。前回のFFRKとか。でもFFRKの結論はゲームがダメなのではなく、楽しめなかった自分が悪い感じでしたけど
■マシンガントークで百合論破して相手を百合に染めながら押し倒すのはさすがに万人向けじゃないというか百合自体がコア向けですしね
■ぶっちゃけ、いつの時代でも変わってないと思いますよ。昔は昔で、皆が満足してるわけじゃなかったんだと思いますよ
■邦楽ももうちょっと和ゲー並みに海外で売れてもいいと思うんですけど、やっぱ日本語の壁は大きいのかな
■それがセクスィー!
■酔わない人はほんと羨ましい…それだけで人生めっちゃ得してるよ!
■両方っぽい
■フランスはイカれてやがるぜ!かと思えば紳士の国がGTA作ってるし
■RPGもいろんなジャンルに派生しましたしね
■新規RPGのハードルが高すぎるのも大変ですよね…
■文庫は発光体じゃないからまだマシですけど、2時間連続で読むとかは無理ですねぇ。アニメは大きいモニタで見れるから大丈夫かな
■なぜそこでトラウマえぐってくるねん!
■日本人が知らないだけで、昔から海外のゲームはちゃんと海外で存在感あったと思うんですよね。要するに昔も今も和ゲーの立ち位置は変わってないんじゃないかなと
■三毛別の他に福大ワンゲル部とかいっぱいありますけど、包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄」みたいな異名を持つマタギが熊を仕留める三毛別はやっぱりロマンが違いますね
■やっぱRPGはマンネリと永遠に戦い続ける運命なのかな
■そろそろ、いかにゲームを楽しめるか方法を考える時期に差し掛かっているのかもしれませんねぇ
■死ぬなァー!
■日記に逃げて製作が進んでいないという考え方も…
■まあでも、自分もその否定の否定をしてるわけで、立ち位置が違うだけなんですよね…
■貶める論法を貶めるのも、結局同じですしね…
■昔は主人公が喋る喋らないで論争になってたものです。はたしてクロノトリガーのクロノは無口が良いのか、みたいな
■時間を開けると新鮮に感じることってありますよね。リメイク商法はその隙間を上手に狙ってる感じなのかな
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少なくとも現代ではそうなってますね
海外で権威のある人が8才児の絵をアート認定したら
子供の落書きに数百万円単位の値段がついたとか
日本絵画とかは上から認められない限り絶対に評価されないとか言われてますしね