前回・前々回は、お客さんを前提とした創作の考え方をネタにしました。
より良い創作物を作るにはどうすればいいのかっていう話ですね。
しかし。
世の中にはそういった理屈が通用しないものも存在します。
それが今日のネタ『自己完結型コンテンツ』なのです。
もちろんえぬの造語なので、ググっても何も出てこないですよ。
自己完結型コンテンツとは何か。
一言でいうなら、お客さんのいないコンテンツのことです。
お客さんがいないということは、創作物の対象は作者一人だけって事です。
自分で作ったものを自分で楽しむ。
需要も供給も自分一人で完結する。
より良い作品を目指して苦しみながら切磋琢磨する必要は何もない。
このコンテンツで重要なのは、いかに自分が楽しめるのかという点だけです。
例えば昔の家庭用ツクール。
知人友人に見せることもありますけど、基本的に家庭用ツクールの対象は自分一人になるパターンが多いかと思います。そういう意味では自己完結型コンテンツといえるでしょう。
むかーしの家庭用ツクール時代はね。
階段イベントでマップを繋げるだけで楽しかったんですよ。
マップを二つ作るでしょ。
イベントで二つのマップを繋げて行き来できるようにするでしょ。
んでテストプレイで延々とマップを行ったり来たりするんです。
傍から見たら馬鹿みたいなことを延々とやってるんですよ。
なんせマップを行ったり来たりするだけですからね。
でもそれが楽しかったんです。
うわーこれドラクエみたいじゃ~ん。
自分で作ったものがドラクエみたいになってるよ~。
もうそれだけで延々とマップを行ったり来たりできるんです。
ゲームというのは難しいプログラムを書ける選ばれた人だけが作れる特別なものだっていう認識だったから、素人の自分がそれっぽい挙動のものを作れたというだけで感動してたんですよ。
ツクールはゲームを作るというゲームである。というのがえぬの持論です。
自分が楽しければそれで良い。
他は何も必要ない。
これこそが自己完結型コンテンツの持つ、ただひとつの正義なのです。
しかし。
この唯一の正義こそが、最大の障害となります。
自己完結型コンテンツは自分が楽しめなくなった時点で終わりなのです。
先ほど例を出した、延々とマップを行き来するだけの創作物。
これが正義たりえるのは、楽しんでいる間だけなのです。
行き来に飽きた瞬間、牙を剥いて襲ってきます。
お客さんの存在する公開予定のコンテンツならば、作業と割り切って制作を続けられるでしょう。しかしお客さんのいないコンテンツだったら、自分が楽しいと感じる別の要素を見付けるしかありません。
つまり自己完結型コンテンツは「飽き」との戦い。
「飽き」に負けた時、全てが終わる。
そして「飽き」は遅かれ早かれ必ずやってくるのです。
「飽き」から逃げるようにして、お客さんのいるステージに進む。
自己完結していた世界から外へ踏み出す。
でも外へ出てみたら、責任や承認欲求や向上心に悩み疲れる。
自己完結してた頃って、責任感とか周りに認めてもらおうとか優れた作品を作ろうなんていう気持ちは無かったはずなんです。お客さんが存在することで、これらの気持ちと戦っていくことになる。
そういうプレッシャーに押し潰されそうになった時にどうすればいいのか。
ひとつだけ言えるのは、お客さんの前で自己完結型コンテンツを見せるのは逆効果になりそうだということです。
自分だけが楽しめるものだけを作ればいい。
それはツクールの中である意味、正解のひとつでしょう。
しかし、そこに潜むリスクにも注意を払わないといけません。
自分が楽しめれば良いという考えは、あくまで自己完結型コンテンツであることが前提なんです。世に公開するとなった時点でお客さんが存在することになり、それは自己完結型コンテンツではなくなります。
別に公開しようが自己満足で作品を作っても良いじゃないかという考えもあるでしょう。しかし自己満足で作った作品は評価されにくいという事実にも目を向けないといけません。
作っても作っても評価されないとなった時、精神的ダメージはどれほど大きなものになるのか。もちろん平気だっていう人もいるでしょうけど、そこまで開き直れるのは本当にごく一部の人に限られると思うんです。
だから自己完結型コンテンツは公開しないほうが良い。
何よりも自分の心を守るために。
あくまで個人的な意見なので、これが正しいとは思いませんけども。
とはいっても。
公開しない作品を作るっていうのはモチベ的になかなか難しいものです。かといってひたすら何がウケるかお客さんの目ばかり気にして作るのもしんどい。
だから自分の好きに作って、多くの人間には響かないという前提で一部のお客さんに向けて評価度外視の作品を作る。そういう人もいるかと思います。
それがフリゲのメリットだと思っている人もいるでしょう。
かくいう自分もそんな考えでした。
でもこの考えは、自分に相当自信がないと厳しい。
自分の作るものに確固たる信念がないと続けられない。
少なくとも「どうせ自分は駄目な人間なんだ」という精神状態で作ったら潰れます。自分が潰れなかったのは拍手コメントで励ましてくれる人がいっぱいいたからなんですよ。自分一人だけだったら絶対に潰れてました。
人間っていうのは無意味なものを作らされる時に強烈な苦痛を感じる生き物なんです。穴を掘らせてはそれを埋めるっていう作業を延々繰り返す刑罰が昔あったみたいですけど、精神的苦痛がすさまじい拷問だったと聞きます。
せっかく作ったものが無駄になるのは誰だって嫌なんです。
だから「別に評価とか求めてないし」と考えるならば、それは自己完結型コンテンツとして公開しないほうが良いと個人的に思ってます。
誰にも見せていない創作物って、自分もけっこう多いんですよ。
むしろ公開した作品よりも非公開作品のほうが圧倒的に多い。
でもそれらを公開しようとは全然思わないです。なぜならみんな自分の為だけに作ったもので、既に需要と供給が完結しているからです。
創作でいろいろ気にしすぎて疲れた時は。
たまーに自分だけの為の作品を作るのもいいのかもしれませんね。
1/12までの拍手お返事です。
■筋肉が欲しいか… ならばくれてやる
■自分は逆ですねぇ。可能な限りキャラに初期設定は入れない。
最初に決め打ちできればいいんですけど、話を広げる時に設定したものが足かせになるんですよ。
■別にロリBBAが好きってわけじゃなくてですね…
VX→MV
Ruby→JavaScript
RB→JS
リアルババア→女子小学生
…で、ロリの皮かぶったBBAっていう設定になったんです
■
■いやぁ~任天堂のハードって凶器になるくらい頑丈ってイメージで…
(ゲームキューブの取っ手を擦りながら)
■個人的に、キャラって世界や時間と切り離して考えられない人間なもんで、キャラの魅力ってのはその作品世界とセットで見てるんですよ
■タイトルもめっちゃ重要ですよね
今は事前にググって重複チェックとか簡単にできますけど、ネットがない時代は大変だったろうなぁ
■WOLF ACTエディター
■何度新しくなっても起床時に爆声を出すクセが治らないんですよあの子
■メディアそのものから遠のくケースもありますよね
自分もテレビドラマはほとんど見なくなりました
けっしてつまらないとは思ってないんですけど、なんか自分と関係ない遠いコンテンツだって思っちゃうと、それに時間を使おうと思わなくなる
■脱出ホラー国で朝起きた時のあいさつは「はじめましての人ははじめまして、そうでない人はこんにちは」になります
■なんか響きがやべえ!
■うちの猫がスイングドアに苦戦してたのは「押して開けたんだから反対側だと引くんだろ」っていう固定概念があったからみたいで、ドアの考え方としては間違っちゃいないから余計面倒だったという
■誰やねん
■ゆめにっきってどっかに脱出する話だったっけ
■思い出すのだ!
■なぜまったく百合要素がないのに表紙だけ百合ん百合んしている作品が後を絶たないのか
■あれ便利なんですけど、どの店が対応してるのか分かんないから確認するのも面倒になって結局使わないという
■何の作品のことを言ってるのか分からん…
■まったく面識がないのにネタにしちゃったよドキドキ…
■そうそう、そうなんですよ
キャラの魅力って、存在してる世界とか物語があってこそだと思ってるんで、キャラだけ切り取って魅力を抽出するってのは正確じゃないと思うんです
■う~ん…
PSアーカイブ用にVitaも欲しいんですよねぇ
■このサイト見てる場合じゃねえ!
■百合りんりんしてるだけでえぬの評価は高くなります
■作らんって言うとるやろ!
■脱出ホラー国の町中はけっこうグロい死体とかが転がってますね
力に溺れるようにアドバイスしてくる悪魔的キャラ