キャラ作りの違和感
2021/02/06
「漫画はキャラクターが大事」
「魅力的なキャラクターをどうやって生み出すかが重要」
…という話はもう耳にタコができるくらい聞いた事があるかと思います。
そもそもこの「キャラ作り」ってやつは何なのか。
結論からいうと。
「どうやって魅力的なキャラが作れるか考えよう」って発想になった時点でもう視点がテンプレキャラしか作れなくなってる気がする。
実際にキャラ作りのハウツー書いてる沢山のサイトをザッと流し読みして、ほとんどみんな何かのテンプレ性格をくっ付けて「これが魅力的なキャラだ」みたいなことやってるのを見て、いろいろ思うことがあるんです。
何かの性格を貼り付けてキャラ作りっていう考え方が、しっくりこない。
例えばこの性格とあの性格が読者を惹きつけるキャラの基本だ!的な。
ギャップや過去、苦手なものや弱点を設定して個性を引き立てようとか。
キャラの魅力というものが性格や属性といったパーツで成り立ってると解釈してないとこういう発想は出てこないと思う。
じゃあ例えばですね。
「他人を思いやる心優しい」性格のキャラを設定したとします。
親の愛情も知らずに育った中でかけがえのない友人を得て、人を大切にする生き方を学んだっていう過去も設定したとしましょうか。
これがキャラ作りっていうのに違和感あるんですよ。
だってそうでしょ。これ作者が頭の中で設定してるだけで読者にどうやって伝えるかって所が抜けてるんですもん。
この段階だとまだ人間じゃなくて設定だと思うの。
キャラ作りというよりも登場人物の設定作りというか。
じゃあキャラ作りって何なのかって話ですけど。
この設定した人物を読者にどうやって伝えるか、その構成を考えることでキャラ作りは完成すると思うのね。
つまり、物語とキャラは切り離せないもんだと思う。
なぜならそのキャラがどういう人間かっていうのは、結局のところドラマを通じてしか読者に伝えられないから。
キャラの魅力っていうのは、その人間に設定された性格や過去だけで成り立っているのではなく、それを見せるドラマに大きく左右される。どんなに魅力的な設定をくっ付けたとしても、それを見せる演出が駄目だったら全てを台無しにしてしまうんじゃないかなって。
もしこの理屈が正しいのであれば、キャラ作りで最も重要な要素は性格や過去を設定する事ではなく、人間の見せ方の技術になると思う。
それは人間の魅力を引き出して観客に伝える力。
具体的には構成や演出、ドラマやシナリオを考える能力になると思う。
突き詰めれば「魅力のある話が作れるか」なんですよね。
例えば何かの漫画で魅力的なキャラを分析した時、誇り高くて勇気があって他者を思いやる優しい心を持ったキャラだったとします。
でもこのキャラの性格というのは、その漫画の話の中で読者が感じたものなんですよ。つまりキャラっていうのが先にあるのではなく、そのキャラがどういう人間かというのを伝える話が先にある。性格はその話から感じた後付けでしかない。
この「後付けの読者視点」で創作しようとすると、最初にいった設定貼り付けただけのテンプレキャラ作りになってしまうんじゃないかなって。
性格っていうのは第三者が客観的に分類した性質に過ぎないと思う。
そこに人間の本質はない。おそらく当人にも本質は分からない。
そしてその人の本質は何だろうかと考える、その行為こそが人間の魅力の正体なんじゃないかなと思うんです。
こいつはどういう人間なんだろうか。
それを知りたいと思わせた時、その人の魅力が生まれるんだと思う。
その結果返された性質をそのまま別のキャラに張り付けたとしても、おそらく同じ魅力は出せない。なぜなら「どういう人間か知りたい」っていう工程が無いから。その工程こそが物語なんだと思う。
だから人気漫画の人気キャラを分析して性格や属性をそのまま自分の作品のキャラに張り付けても全く魅力が無いと思う。きちんと「どういう人間か知りたい」っていう工程まで再現しないとただの設定でしかないから。
もし、この理屈が正しいのであれば。
一度読者から人気を得たキャラは後がものすごく楽だと思う。
なぜなら読者はそいつがどういう人間かもっと知りたいと思ってるわけですから、後はそいつがどういう人間か見せるだけで良いんです。
問題は、そこへ行くまでにどうするかって所です。
個人的に、えぬはこの部分が「キャラ作り」と呼ばれるものかなと。
つまり、えぬが思うキャラ作りとは。
「どうやって魅力的なキャラが作れるか考えよう」ではなく。
「どうやってキャラの魅力を伝える話を考えようか」になると思う。
だからキャラ作りはエピソードが命。
…だと思ってるんですよね。
そいつがどんな人間かは作者が設定で決めるんじゃなくて、読者が話を見て決めるもんだと。だから同じキャラでも読者によって感じ方が変わると思う。
そういう捉えどころの無さこそが人間の魅力というか。
同じ反応、決まった反応しか返さないのは人間じゃなくて機械だと思う。
性格や属性を設定するっていうのは人間を機械にするのと同じなんですよ。
例えば、そうですね。
ジーチャン大好きな少年がいて、ある日そのジーチャンが亡くなった話を考えるとしましょう。
ジーチャンが大好きっていう設定があるので、眠っているジーチャンを見て少年が大粒の涙を流して泣き叫ぶ話を考えました。
この少年に魅力ありますか?
はっきり言います。えぬはまったく魅力を感じません。
なぜならものっすごくテンプレ臭がするからです。
どういう人間か知りたいって気持ちになれない。
「他の作品で死ぬほど見たな、こういう少年」で終わってしまう。
ジーチャン大好きっていう属性をくっつける所でキャラ作りが終わってる。
ここをどうするか。
どうやって読者の心を掴むか考える。
それがキャラ作りだと思う。
例えば、そうですね。
先ほどのジーチャンと少年の離別の話であれば。
ジーチャンはコーラが好きで毎日コーラばかり飲んでて、少年は炭酸が大嫌いでジーチャンが毎日コーラを勧めてくるんで苦手でした。ある日ジーチャンが亡くなり、これでもう嫌いなコーラを勧めてくる人はいなくなったなと思った少年ですが、葬式の帰りになぜか無言でコーラ買って帰る話とか。
この話が心を掴むかどうかは置いといて。
最初の話と違うのは「ジーチャン大好き」っていうテンプレ性格を少年に設定していないって所です。読者によっては少年がジーチャン大好きかどうか意見が分かれるように意識しました。
個人的な主観でしかないんですけど。
えぬは後者の少年の方が人間臭いと思うんです。
はっきりいって、この話を考えたえぬ自身もこの少年がジーチャン大好きか分からないし、たぶんこの少年本人も分からない。
人間の心の本質はこんなもんだと思う。
属性ひとつで区分できるほどはっきりした性質じゃないというか。
それを属性分けしてしまうからテンプレ臭が出てくるんだと思う。
まあ、当たり前ですよね。
こういう性格だっていう決まりを貼り付けるわけですから。要するに自分が話を作りやすくする為に分かりやすい性格をテンプレ化してるわけですよ。そりゃテンプレ臭して当然だと思う。
捉えどころの無い、見る人によって感じ方が変わる人間の本質。
じゃあそれをどうやって伝えるのか。
それこそが物語なんだと思う。
だから物語を切り離してキャラ作りというのはできないんじゃないかなぁと。
いかに物語とキャラを融合させていくかってのが大事なんだと思う。
その為にはやっぱり人間の見せ方の勉強が必要。
どうやって勉強するか、人によってベストな方法は変わってくると思います。
えぬ個人としては、限られた短い時間で人間の魅力を伝えないといけない映画が一番参考になると思う。喫茶店でコーヒー飲む1シーンだけでいかに人間の魅力を出すかってのに魂賭けてるのが映画だから。
映画をよく観る人は、人間を見せる引き出しがいっぱいあると思う。
だからキャラ作りが上手いんじゃないかなぁ。
ただ、こんな事いってる自分は映画あんま観ないんですよね。
目が悪いから字幕の映画館はきついし。
観ないとなぁって思いつつ全然観てないという。
2/5までの拍手お返事です。
■貯金かな…
液タブ試しに買うかもしんない
■ルーミス先生は玉袋大好きだけど乳袋は嫌いそう
■ファイナルファンタジーVII コイズミチルドレン
■スケッチは早い人は早いですね
漫画に必要な能力だなぁって感じる
■切り取るって発想がテクニシャンやなぁ
そのまんまだとコピペ感ありますもんね
■そうそう。背景は地味な扱いなんですよね
けど少しでも手を抜いたら足元を見られるというめちゃくちゃやっかいな要素
コツコツとスキルアップするしかないのかな
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ゴールドルーキーだと百万貰えるみたいですね。
何に使います?