システム屋の陥りがちな罠
2016/09/10
ツクラーはシナリオ派とシステム派に分かれるって話は有名ですが。
システム派に属すると思われる自分が、よくハマっていた罠があるんです。
システム派っていうのは、ゲームをシステム第一で考えます。
お話やキャラを動かすよりも、戦闘ルールを練ってるほうが楽しい。
イベント演出よりもゲームバランスに時間を取りたい。
マップやお話を作るのが面倒。スキルやアイテムを作る方が楽しい。
…って人は、システム派の傾向があるかも。
システム派にとって、シナリオも世界観もキャラクターも、システムを飾るパーツに過ぎません。重要なのは、プレイヤーをどうやって楽しませるのかという遊びのルールであり、ガワは重要視しません。
この考え方が良いか悪いか決めることはできません。
重要なのは出来上がったものが面白いかどうかという部分だけだからです。
ただし。
永くシステム屋をやってると、だんだん感覚がマヒしてきます。
そして行き着いた先で。
「優れたルールこそがゲームの面白さを決める」
こういう考えに至ってしまうのは危ない。
この考え方は危険です。
ですが、自分を含めてシステム重視でゲームを作っていると、けっこう陥りがちな罠なんですよね。
ルールだけで勝負しようとしちゃうんですよ。
ゲームの面白さはいろんな要素があるわけで、それらを捨ててルールだけで面白さを表現しようとしても限界が出てきます。
帽子世界に当てはめてみると。
例えば、敵味方でリソースを共有するシステムを思いついたとしますよね。
魔法を使うのに消費するマナはマップ固有のもの、というルールです。
で。
「うわーこのルール面白れー」となるのがシステム屋のトラップなんです。
少し考えれば分かることですが、このルール単体で面白いつまらないを計ることはできません。
もっと分かりやすくしましょうか。
例えば、キャラクターにHPとか腕力といったパラメータを付ける。
これもルールのひとつです。
じゃあこのルールが面白いかといったら、これだけでは面白くなりません。
このルールを生かすためには、敵と味方のパラメータをバランス良くセッティングしなければいけません。ほど良いバランスになって、初めてこのルールに面白さが生まれるわけです。
ルールはあくまでルールであり、パーツのひとつ。
それが面白さのすべてを決めるわけではないということですね。
将棋であれば、楽しさを決めるのは将棋ルールではなく、対戦相手なのです。
ルール作りが好きで楽しいので、ついこれだけで面白さを計ってしまおうと思っちゃうというか、ルール部分だけで力尽きることもあるかと思うんですけど、もう少し視野を広く持つことも重要なんじゃないかなぁって話です。
もちろん好きなルールを作ろうとか、ルール作りを楽しむことは何も問題ないですし、システム屋が悪いわけではありません。自分もシステム屋ですしね。
9/9の拍手お返事です。
■GTはどうでもいいかな。PS3のは姉からもらったやつだったし
■そーなんですよねーおかしいんですよ
■いちかばちか!
■姉はネット繋いでないからそこらへんの話は聞いてないですねー
■現代人が異世界で俺TUEEEEE!の元祖はオズっぽいですよね
TUEEEEE!やるのは主人公のドロシーじゃなくてオズの方だけど
■肥溜めを作る魔法が強力そう
■ありましたねぇ…なつかしいなぁ
■パワプロなんでもありやな
■不気味の谷の時期がけっこう長かったですもんね
■ラスボスじゃないけど、ものまねしゴゴとか
■確かに。アクション要素が入ると別物になりますね
■「いかり」「かなしい」とかありましたね
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「一方で、グランツーリスモの新作は案の定延期しましたね。」
この一文が抜けてますよw